主題
- #人生の基準
- #機会
- #自由
- #満足
- #競争社会
作成: 2日前
作成: 2025-09-03 10:46
偶然、あるYouTubeショート動画を見るようになった。アメリカにいる韓国人大学生、会社員を対象としたインタビューテーマだ。インタビューイーは韓国人の優れた能力と極度の競争について話した。
まさに悲しく暗い現実だ。韓国とアメリカを比較すると、優れた才能を持っている韓国人は韓国で待遇を受けられていないことに残念がっている。むしろアメリカで待遇を受けられる環境であることを言う。
本人がいたアメリカの学校の試験でスタンフォードに行った友人がいるが、その友人より成績が良かったという。該当インタビューイーは韓国の高校時代、夜間自習中ずっと数学だけ勉強したにも関わらず、3等級をたった一度だけ記録したという。それだけ韓国は優れた人的資源が多いが、ひどい競争で本人の実力を開花させることができないが、アメリカでは韓国よりも少しだけ頑張って、手厚い待遇を受けられるという趣旨だ。
多くの部分で共感した。韓国はもう5歳から競争だ。すでに英語幼稚園に、医大進学目的クラスが幼い頃からできてきている。そして、私たちは必ず勝たなければならないことを学び育つ。他人より成績はもちろんのこと、全般的に優れていなければならず、お金もよく稼がなければならない。六角形を超え八角形、十角形の優秀人材を求め、作り出す。
自由民主主義社会で自由は消えてしまったようだ。私が言いたい「自由」と言うならば、いくらお金を稼ごうが、どんな仕事をしていても、どこで住んでいても、ただ私が満足して生きる自由だ。他人が言う、名門大学に行かなければならず、どんな職場に行かなければならず、頃合いを見てどのタイトルをつけなければならず、いくらくらいのお金を稼ぎ、どのブランドの車に乗り、どの大きさの家に賃貸ではなく売買で住まなければならないなど。みんなが言う基準に合わせて生きなければならないという強迫観念が生まれ、そう生きることができなければ、私は敗者で役に立たない存在だと思う社会になってしまった。
正直、この小さな国でどれほどすごいことを望んでいるのか。外国に目を向けると、本当に多様な人生を送っている人が多い。そして、機会も我が国より多い。なぜ私たちは必ず韓国だけを固執するのか。もちろん、世界的に「K」が大勢なので、それだけ住みやすい国であることは認める。しかし、そのような部分だけに集中し、私たちの生活の裏側を見ることができなければ、悪循環は終わらないだろう。
最高になれなければ、これほどのお金を稼げなければ、こんなところに住めなければ、こんな車に乗れなければ、こんな服、生活、高級品などを持っていなければ。ただ、こんなものがなくても生きていける。私が満足して生きていける。車がなくても生きている人、地方に住んでいる人、ただ色々なところで働いている人、これくらいのお金を稼ぐ人。大丈夫だ。外国に行くのも良い方法だ。より良い機会を見つけるために進んでいけば、むしろ韓国よりも良い機会に出会える。
必ず早く達成しなくても良い。ゆっくり行っても良い。高い所でなくても良い。「他人」ではなく「私」を見る社会になってほしい。
コメント0